ご相談ありがとうございます。
まず「学校に通うことが訓練になるのか、消耗になるのか」という二択で考えなくてもいいのではないかと思いました。
場面緘黙は、単なる人見知りや「話したくないから話さない」という状態ではありません。家庭では普通に話せるのに、学校など特定の場面では話すことができなくなったり、身体が固まって動きにくくなったりすることがあります。腹痛などの身体症状や、不登校につながる場合もあります。
ですから、「学校に毎日行っていれば、そのうち慣れて話せるようになる」と単純には考えないほうがいいと思います。
一方で、学校に行くことそのものが悪いわけでもありません。
安心できる環境の中で、「今日は先生と目を合わせられた」「指差しで伝えられた」「教室で安心して過ごせた」といった小さな経験を積み重ねることには意味があります。
大切なのは、「話すことを頑張らせるために学校へ行く」のではなく、「話せなくても安心して学校で過ごせるようにする」ことなのではないでしょうか。
今回、特に気になったのが、トイレに行きたいと言えずに漏らしてしまったというところです。
これは「もう少し頑張れば言える」という話ではなく、今の学校生活の中で、本人が必要なことを伝えられないことで具体的な困難が起きているということです。
例えば、トイレについては先生に毎回申し出なくても行けるようにする。返事を声で求めるのではなく、頷きや指差し、カードなど別の方法で意思表示できるようにする。朝の挨拶も、全員と同じ形で声を出すことを必須にしない。
そういった「話さなくても困らない環境」をまず作ってもらうことが大切だと思います。
そして、診断がまだついていないからといって、何も対応できないわけではありません。
医療機関の予約を待ちながら、学校には「場面緘黙の可能性があり、特定の場面で話すことが難しい。本人の努力で声を出させるのではなく、代替のコミュニケーション方法も含めて支援を考えてほしい」と伝えてみてはどうでしょうか。
家庭では、無理に「学校でも話せるように練習しよう」としなくてもいいと思います。
家では今まで通り、よく話して、よく笑って、姉妹で喧嘩もして(笑)、その子らしく過ごせる時間を大切にしてあげてください。
そして、「今日は学校で話せた?」「先生にちゃんと挨拶できた?」と毎日確認することも、できれば減らしてあげたいところです。
話せないことそのものが、本人にとってすでに十分な苦しさになっている可能性があるからです。
「話せなくてもいいよ」
「伝えたいときは別の方法でもいいよ」
「困ったときは、お父さんや先生が分かってくれるよ」
そういう安心感を積み重ねることが、結果的に「話せる場面」を広げていく土台になるのではないでしょうか。
場面緘黙は、適切な対応によって改善していくこともあります。
だから、診断を待つ2か月を「何もできない2か月」にしなくていいと思います。
娘さんを「話せるようにする」のではなく、「話せなくても安心していられる場所を増やす」。
そして、お父さんが迷っている「学校に通わせるべきか」という問いについては、出席日数だけではなく、娘さんが学校でどれだけ安心して過ごせているかを一緒に見てあげてほしいと思います。
学校に行ったことで少し自信がついたのか、それとも一日中緊張して帰宅後ぐったりしているのか。
その違いを見ながら、学校での過ごし方そのものを調整していくことが大切なのだと思います。